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国道49号本尊岩隧道

ルート:

新潟県東蒲原郡津川町

路面:

舗装
通行日: 2002/08/25 通り抜け: 可能
地図: T/Mapple: 21-G-1
本尊岩地区は、急峻な岩盤斜面が国道に面しており、これまで落石・岩石崩壊が繰り返し発生している。
主なものを挙げると、
1964年(昭和39年6月(新潟地震))の際には、岩石崩壊によりJR線、国道が被災。
1982年(昭和57年)には、国道まで達する岩石崩壊。1986年(昭和61年6月)には、落石により中型トラックが大破。
1986年(昭和61年9月)には、国道へ径70cmの落石が落下。
1990年(平成2年2月)には、岩石崩壊によりJR線が被災し、国道へは破損した擁壁の一部が落下。乗用車前部が破損。
1992年(平成4年3月)には、約200m3の岩石崩壊が発生し、崩壊土砂の大半はJRの擁壁で停止。国道へは、跳躍した岩片が散乱。
1995年(平成7年4月)には、約5,000m3の岩石崩壊により、斜面上のJR防護施設は全壊。径3mの岩塊がJR脇の擁壁を大破して停止、最大径7.5m×4.0m×3.0mの岩塊はJR防止柵手前で停止。国道へは小岩片が飛散。
などとなっている。

このため、国土交通省新潟国道事務所により、災害発生源対策として岩塊除去や、落石防止擁護工などの防災対策がとられ、落石検知システムの設置など厳重な監視体制が敷かれている。また、恒久対策として別ルートも検討されている。

阿賀野川添いには、国道49号を始め、国道459号や多くの県道、市町村道が通っており、それぞれ非常に美しい景観を見せている。自然に挑戦するかのように走るこれらのルートは、必然的にトンネルなどの構造物必要としており、その歴史は、防災対策の歴史と言えるのかもしれない。
[1]
『本尊岩トンネル』の西側坑口。
トンネルは2つの部分で構成されているようである。一つは、この西側部分で、阿賀野川と本尊岩との僅かな間隙をぬうように走る国道を覆うような形になっている。もう一つは、東側半分で、本尊岩本体を貫通している部分である。
[2]
国道と平行して走る鉄道のトンネル。
短いロックシェッドを通り、右側のトンネルへと続いている。写真の右下の白っぽい擁壁は、写真[1]の左下に写っているもので、鉄道トンネルの方がわずかに長くなっている。
[3]
本尊岩を貫通するこの箇所は、岩石崩壊や落石により、過去幾度となく災害が発生しており、現在も厳重な防災対策と監視体制がとられている。
写真は写真[2]の擁壁と鉄道トンネルの間に設置された点検用足場である。
[4]
東側坑口は、短い橋と直接接続する形になっている。右端に写っているのが鉄道トンネルの坑口部分で、短いロックシェッドが設置されている。
中央に見える橋は何であろうか。
[5]
国道トンネルの東側は、西側とは竣功時期も異なる全く別物のようである。
扁額には『本尊岩隧道』の文字。
よく見ると、コンクリートも一様ではなく、補強や修復が行われてきた歴史を感じさせる。
[6]
さて、写真[4]の奇妙な橋の奥は?
トンネル坑口上部のようなアーチ状の構造物がある。が、奥行きはなく、見たところ岩盤そのもののようで、詳細は全く不明。
[7]
ロックシェッドに守られた鉄道トンネルの東側坑口。
[8]
こちらは、本尊岩トンネルの西、東蒲原郡三川村との堺にある鉄道トンネルと、国道のロックシェッド。
鉄道のトンネルは、基本的に磐越西線開業当時のままなのであろうか、列車が通り抜けできるミニマムサイズとなっている。
[9]
通りかかった新津発津川行き普通列車2234D。
列車とトンネルの隙間はほとんど無い。このトンネルを使って電化することは困難なようにみえる。
[10]
本尊岩トンネル東側坑口から、東方向の眺めである。
満々と水をたたえた阿賀野川、川から急激に立ち上がる山々、河岸を寄り添うように走る鉄道と道。roadweb的絶景である。
実は、写真[4]の道路トンネルと鉄道トンネルの間に、素堀の旧本尊岩隧道が残っている。写真では草木に覆われて確認困難であるが、現在はコンクリートで坑口が塞がれている。
少し下流にある揚川ダムによる水位の上昇にあわせて、現在の本尊岩隧道が掘られたらしい。
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