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県道14号いわき石川線(御斎所峠)

ルート:

福島県いわき市

路面:

舗装
通行日: 2002/01/26 通り抜け: 可能
地図: T/Mapple: 10-A-2
ここは福島県南部の沿岸部と内陸部を結ぶ歴史のある街道で、古くから難所として知られていた。現在では県道として整備されており、交通量は多い。
街道の面影はわずかに残っているようだが、機能を最優先した整備の結果、残念なことにかつての風情は失われてしまったようである。

■御斎所峠について
いわき市田人町石住と遠野町根岸の間にある峠。
西白河郡東村蕪内(かぶうち)から石川町、古殿町を経て、いわき市湯本に至る65kmの街道を御斎所街道とよんだ。この峠名は街道名にちなみ、1888年(明治21年)に路線が改修され現在のものになっている。
御斎所街道は、浜通りと中通りを結ぶ動脈で、大正初期まで北茨城市平潟の塩、いわき市の浜の鮮魚の輸送路として重要であった。
鮫川の清流と平行してさかのぼる峠道は今でも100mを超す断崖の下にあり、難所の面影を残している。鮫川を隔てて南方には御斎所山がそびえ、峠には熊野神社がある。
国道49号の一次改築事業が1971年度(昭和46年度)に完了するなど整備が進むにつれ、御斎所街道の通行量は減少した。
[1]
いわきからアクセスすると最初に現れるのが『御斎所洞門』である。
2000年12月竣功、延長177.0m。
[2]
向かって左側には、つい最近まで使っていたと見られる道があるのだが、閉鎖されていて入れない。
さらにその左側は、切り立った崖となっており、下は『鮫川渓谷』となっている。
[3]
『洞門』という名称には訳がある。
かつて、ここには素堀のトンネルがあり、それが『洞門』と呼ばれていたらしい。
写真は傍らに建つ説明板に掲載されていたもので、昭和61年7月に撮影されたとある。
新トンネルの威圧感を与えるほどの堂々とした意匠は、この面影を引き継ごうとしたからなのかも知れない。
写真に添えられている説明文は末尾に掲載のとおり。
[4]
御斎所洞門に引き続き『御斎所トンネル』が現れる。
こちらは、1995年3月竣功、延長685.0m、ごく普通のトンネルとなっている。
[5]
御斎所洞門と御斎所トンネルの間に架かる橋。
鮫川渓谷はかなり険しい場所であることがわかる。この橋ができる前は、どのようになっていたのであろうか。
[6]
御斎所トンネルの左方向へ分岐する旧道。
こちらにも県道表示が残っている。
[7]
旧道の様子。
現在のところ、通行に何ら支障はないようである。
この先に『峠の茶屋』と神社があるので、今後も維持されるのであろうか。
[8]
旧道沿いに建つ『熊野神社』。
説明板には次のとおり記載されている。
御斎所街道と洞門
御斎所街道は中通りの白河・棚倉両城下および、須賀川と、浜通りの平城下および小名浜・九面・平潟の諸港とを連絡する要路であった。
この街道の難所は菊多郡石住村から同郡大平村にかかる鮫川渓谷の御斎所峠付近で、この部分の通路を御斎所通りとも呼んでいた。
御斎所通りは隘路で大部分は山肌をたどり、曲折していて見通しもきかず、危険であった。牛方も一斗五升入一俵の米俵二俵をつけるのが漸くだといわれたところである。今でも鮫川の流域を遡る峠路は百メートルを越す断崖で難所の面影を残しています。
明治23年頃の改修工事によって、長さ10メートル余りの自然の岩をくり貫いてつくられた洞門があり、これが御斎所洞門としてこの街道の名所・景勝地として親しまれていました。
然し乍ら、近年の交通機関の発達により交通安全の確保が困難となってきたため、昭和61年8月に洞門を取り壊すことになりました。
ここに、往時の姿を偲び後世に伝えるとともに、先人の功績を記念するものである。

御斎所洞門が取り壊された昭和61年を境に、ここの風景は大きく変わってしまったようだ。それ以前の様子を見ておきたかったというのが正直なところである。旧洞門を残したまま改良を進める方策はなかったのだろうか。きわめて残念である!
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