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県道232号板谷米沢停車場線(板谷峠)

ルート:

山形県米沢市板谷〜米沢市街

路面:

舗装(一部荒れた簡易舗装)
通行日: 2001/10/27 通り抜け: 可能(冬期閉鎖)
地図: T/Mapple: 29-A-3

福島県福島市から山形県米沢市に至る国道13号にほぼ並行して走る。国道13号の東栗子トンネルと西栗子トンネルの間からJR山形線板谷駅方面に入る。
名物『力餅』で有名な『峠駅』はこの付近であり、かつて使用されていたスイッチバック用の線路が残されている。また、五色温泉をはじめ秘湯の滑川温泉及び姥湯温泉の入口でもある。
峠及び道路自体に際立った特徴があるわけではないが、運が良ければ山深い地域を走る山形新幹線の姿を見ることができる。
出発地点の板谷がかなり標高が高いこともあり、峠以降米沢市まで延々と続く下り坂となる。山岳部分の路面は基本的に簡易舗装で比較的走りやすいのだが、時折深い大穴があいていたりするので注意が必要だ。スピードが乗った状態で車輪を落とせばサスペンションを傷めかねない。
わざわざ走りに来るほどの道路ではないが、時間があれば、幹線として十分整備された国道13号を通るより楽しいことは間違いない。

■板谷峠について
福島県と山形県の県境、吾妻山の北ふもと標高760mにある旧米沢街道の峠である。
かつて米沢藩の板谷御殿があったところで重要街道であった。
板谷峠を越える街道は、16世紀の後半、福島地方から米沢地方に本拠を移した伊達氏が開いたものとされ、旧峠は鉢森山南側の海抜810mの地点にあったが、1850年(嘉永3年)に現在の峠に代わった。
伊達氏はこの街道を通じて福島地方を支配し、このあと17世紀初頭には上杉氏もまたこの街道を通じて福島地方を支配した。
上杉氏の家臣である阿部薩摩は1613年(慶長18年)にこの街道を改修し、福島側の山間に新たに李平の宿場を開設した。
記録に「慶長18年阿部薩摩なるもの道路を通し、家屋をかまえ、人民を移植し一村を成す。この当時この地は平坂にして李樹多きをもって李平と名づく。民家52戸あり…」とある。
江戸時代を通じ、この峠は福島から米沢をへて山形方面へ通じる賑やかな街道であった。
しかし明治時代の1880年(明治13年)万世大路(現国道13号線)が7km北方の粟子峠に開通し、また、奥羽本線(現在の山形線・山形新幹線)福島一米沢間の鉄路がこの峠を通って1899年(明治32年)に開設された。
以来、板谷峠は旧道に転じることとなり、そして、李平の宿場跡も山林に戻ったのである。

[1]
板谷駅の駅舎の前を通過して峠方面へ向かう。
道路の左下に見えているのはJR山形線。
[2]
赤く見えるのはかつての駅舎の屋根である。
[3]
山形新幹線『つばさ』が通過した。
山形新幹線は在来線と線路を共用するいわゆるミニ新幹線。在来線も新幹線と同じ線路幅用の電車が使われる。
[4]
これから米沢までの区間、谷間に沿って深い山中を旅することになる。
[5]
全体の区間を通して幅員は狭めで、常に対向車を意識する必要があるが、清々しい空気の中、ワインディングをゆったりと楽しむ。
[6]
やがて分岐にさしかかる。
右方向が米沢に向かう『県道232号板谷米沢停車場線(板谷峠)』。
左方向は、峠駅、滑川温泉及び姥湯温泉方面へ向かう。
[7]
『板谷〜大沢間 この先 大型車・長尺車両』は通行止(??)
[8]
板谷峠までの道のりは比較的なだらかで、ほとんど上り坂を意識しない。
と言うよりも、起点の板谷自体が既に標高の高い場所にあるのだ。
[9]
眺望は良く、樹木の切れ目から遠くの山並みを見ることができる。
[10]
あとは、延々と下り坂が続く。走りやすいのだが、所々路面が荒れていたり、勾配がきつい箇所もあるので、オーバースピードは禁物だ。
[11]
小規模であるが、時折美しい渓流を見ることができる。
[12]
大沢付近。
いま通ってきた区間を鉄道が平行して走る。
建設時はもとより、冬期間豪雪時の維持管理が相当困難であることは想像に難くない。
これ以降、米沢まで整備された区間が続く。
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