[国道] [県道] [市町村道] [林道] ▲TOP [トップページへ戻る]
県道282号十日市矢吹線

ルート:

福島県岩瀬郡天栄村〜福島県西白河郡大信村

路面:

舗装、ダート(工事中)
通行日: 2003/06/14 通り抜け: 可能
地図: T/Mapple: 13-G-1
県道282号十日市矢吹線(その2)
[11]
こんな道をしばらく進むと...
[12]
突然、工事中の広い道が現れた。
通行止のバリケードは道幅の半分までである。
[13]
路側帯も十分取れそうな、立派な2車線道路ができつつある。
つい先ほどまで細〜い道だったことが信じられない。
しかし、建設機械などは1台もなく、どうも工事は休止中のような雰囲気であった。
工期は2003年9月26日までとなっているのだが。
[14]
大信村側のバリケード。
[15]
大信村側は、既に工事は終了し、綺麗な2車線道路となっている。
[16]
農地と山林の中を通り...
[17]
やがて、十日市の集落で、県道58号矢吹天栄線に突き当たり、終了となる。

■安養寺の一里塚跡について  (所在地:天栄村大字大里字向坂)

 一里塚は、今から約四百年前の江戸時代に、当時の将軍徳川家康の命により全国のおもな街道を改修した際、江戸日本橋を起点として一里(約4km)ごとに築かれたものです。
 安養寺の一里塚は、旧白河(または、会津)街道に設けられたもので、この街道が完成した寛永11年(1634)以降に築かれたものと思われる。この塚より北へ向かうと、牧之内宿(現在の児渡)を経て、早坂を越え、木杭の一里塚に至る。また、南へ向かうと手まねき坂を越えて、上小屋宿(大信村)へ至る。
 この街道は、佐渡から江戸への金塊の運送、幕府役人の往来、会津藩主の参勤交代そして、庶民の江戸往還として、会津へ通じる街道の中でも最も隆盛をみた街道であった。
 天正18年(1590)会津へ向かう豊臣秀吉が通り、天明8年(1788)には、地理学者の古川古松軒が、享和2年(1802)には、日本地図測量のため伊能忠敬が、そして、幕末には吉田松陰が通り過ぎていった歴史の道である。

県道282号十日市矢吹線(その1)(その2)

ご意見、ご感想をお聞かせください。>>掲示板E-mail
[国道] [県道] [市町村道] [林道] ▲TOP [トップページへ戻る]
 
Copyright (C) Sunnypanda 2001-2008. All rights reserved
inserted by FC2 system