■安養寺の一里塚跡について (所在地:天栄村大字大里字向坂)
一里塚は、今から約四百年前の江戸時代に、当時の将軍徳川家康の命により全国のおもな街道を改修した際、江戸日本橋を起点として一里(約4km)ごとに築かれたものです。
安養寺の一里塚は、旧白河(または、会津)街道に設けられたもので、この街道が完成した寛永11年(1634)以降に築かれたものと思われる。この塚より北へ向かうと、牧之内宿(現在の児渡)を経て、早坂を越え、木杭の一里塚に至る。また、南へ向かうと手まねき坂を越えて、上小屋宿(大信村)へ至る。
この街道は、佐渡から江戸への金塊の運送、幕府役人の往来、会津藩主の参勤交代そして、庶民の江戸往還として、会津へ通じる街道の中でも最も隆盛をみた街道であった。
天正18年(1590)会津へ向かう豊臣秀吉が通り、天明8年(1788)には、地理学者の古川古松軒が、享和2年(1802)には、日本地図測量のため伊能忠敬が、そして、幕末には吉田松陰が通り過ぎていった歴史の道である。
県道282号十日市矢吹線(その1)(その2)